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About

アプライドシアター(応用演劇)とは、いつも演劇をしていない人たちのために応用された演劇のことです。

21世紀に入り、個人やコミュニティ、また、周縁の人々、被抑圧者のための解放とエンパワメントとしての役割が大きくなり、

演劇・教育・社会・心理・哲学などの境界を越え、多元的・複眼的な分野となり、関心も高まってきています。

しかし、2017年4月現在でも、そのリスクや倫理が無視されたまま、日本において、専門的な研究やファシリテーター育成を行える恒常的な場がないのが現状です。

 

そこで、当研究所では、3本の柱(CAFÉ×ACADEMY×LABO)を育みながら、演劇を中心とした芸術を応用した場の創出・研究・普及、ファシリテーター養成・派遣、国内外の研修・交流、応用の場を創造する人達との連携とエンパワメントを目指します。

アプライドシアター研究所では、持続可能な場の創造のために、メンバー制を取らせていただいています。

メンバーに登録すると、主催する全イベントにメンバー割引があり、関連情報を隔月のメールマガジンにてお届けいたします。

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主宰者紹介

主宰プロフィール

佐々木英子

早稲田大学人間科学部人間健康科学科卒。ロンドン大学ロイヤルセントラル校応用演劇学修士。

日本演劇学会、日本健康心理学会、日本教育心理学会、異文化コミュニケーション学会、国際演劇協会、日本児童青少年演劇協会会員。

小・中・高一貫の女子校に通う緊張症の気があった小学生時代、学校で全員参加の演劇を通した自己と他者の変容を体験し、参加による「演劇の力」に関心を持つようになる。その後、中・高演劇部に参加。意識的に自分自身の体験や起こる現象を客観的に観察し、思考と気づきを積み重ねていく中で、演劇のプロセスを人間の発達やストレスフルな社会や自己解放に楽しみながら活かすことができるのではないかと考え、高校3年時、初めてその考えを作文に書き('86)、演劇のメッカといわれていた大学に新設された人間科学部の1期生となる。が、関連授業はなく、他大学のサイコドラマ合宿に参加したり、箱庭療法研究会に参加し、学校カウンセリングなど臨床心理学を中心に、脳科学、精神医学、倫理学、社会学などを学びながら、初めのレポート(シアターゲーム:今でいうインプロゲームの可能性に関するもの ('87))から、発表、卒論まで、演劇のプロセスの可能性について触れ続けたが、未だネット社会でもなく1期で図書館に本が揃っておらず先輩もおらず担任も新人講師であったこともあり、不遇な時を過ごした。実践においても、当時、星の数ほどあるといわれた学内の演劇サークルをすべて見学し、ようやく決めて入った劇団が新入生として手伝った5月公演を最後に突然解散してしまうなど、順風満帆ではなかった。関心が解消されなかったことから、卒業後も手探りでフィールドワークを続けた。

 

自らが教室長を務める個別指導塾における演劇遊び教室開催('97)、全国中学高校芸術鑑賞会巡回公演('98-'99)などを経て、周囲に背中を押され、2000年、普段演劇をしていない一般の人たち、特にストレスや苦しみを抱えた子どもや若者たちにインクルーシブに演劇の力を生かすこと、未来を予防し楽しく変えていく(recreation:再創造する)ためにはどうしたらよいかというテーマにて勉強会を開始。「¹ドラマエデュケーション」「²演劇のちから」「³劇場をあそび場に」などのコピーをつくり、期間限定の「刺激」として実践を通した提案活動を行う。この時、長年、仲間に出会えなかった経験から、ホリスティックで多様な経験や可能性を、はじめの時点で意味づけて矮小化し、思考停止や依存関係を生みブームで終わらせ、結局、何も変わらない状態にしてしまわないよう意識し、主体的に「これは何か」「なぜそうしたのか」と自ら考え実践する人の出現を期待した。同時に、「秘すれば花」といった日本の演劇哲学への畏敬の念も込め、周囲には何でも話し問われれば率直に答えるが、それ以外で浅はかに語ることを避け、それぞれの気づきを信頼し待つことを選択した。「ツール」「媒体」という「応用」としての言葉についても、生粋の演劇に対して失礼にならないかと悩み考えた上で出していた。

 

2001年夏には、その活動の一部がニュースで取り上げられ「演劇を通して子ども達の心のケアをする劇団」として紹介される。当時、「教育」「心理」「演劇」「社会」「哲学」などの境界を越えたグループも見当たらず「『心のケア』をする『劇団』」と紹介されたが、劇団や分野にとらわれず総合的な場を目指していたため、その後はワークショップ、シンポジウム、ワークショップ付の講演会などを行い、分野や会場などの壁を取り去って対話し、古くからの境界に敬意をはらった上で壁にとらわれない新しい枠組や可能性を場を通して模索、提案した。政治では構造改革が叫ばれていた時期でもあり、これらを、日本社会や教育への問題提起ととらえる人達もいた。また、このTVニュース以降、それまで皆無だった似たような名前や手法をつかった集団が次々に出現し、マスコミの力を実感した。後に、この日本におけるオリジナルの活動が、2003年までに欧米で起こった21世紀型応用演劇への変容時期、⁴内容と奇しくも合致してることがわかり、英国にて応用演劇も学び、帰国後は国内で用語や定義が混乱していたため、そのまま「アプライドシアター」という用語を使用することにして、勉強会をベースとした当初の理念に立ち戻り、研究所として時代を意識した場づくりと研究をつづけている。

2002年、ドイツにて⁵シュタイナー教育研修、2006年、フィリピンにてPETA(フィリピン教育演劇協会)のワークショップ研修に参加。2007年、文化庁新進芸術家海外研修員として渡英。ミドルセックス大学 ドラマ教師養成コースに参加し、ロンドン現地の小・中・高校における数多くのドラマ授業を視察。応用演劇においては、ユースシアター、発達障がいの人たちのための劇団、ドキュメンタリーシアターを市民とつくるコミュニティ劇団などにて研修。ここまで、主催した全ての演劇公演・ワークショップ・講座・シンポジウムなどの企画・制作・コンダクター(演出)を担当。学校、地域コミュニティ、研究会、教育やビジネスのNPOにて講師を行う。青山学院大学非常勤講師。訳書に『ドラマ教育ガイドブック:アクティブな学びのためのアイデアと手法』(単訳、新曜社、2017)『インプロをすべての教室に:学びを革新する即興ゲーム・ガイド』(共訳、新曜社、2016)、論文に「アプライドシアター/ドラマ(Applied Theatre/ Drama)とは何か?:変容する用語と場のパラダイム」(演劇教育研究 (6) 、2015)など。

¹ ドラマエデュケーション(2000-2003使用版):
語源「ドラマ」(行動する)+「エデュケーション」(引き出す)・   * 「エデュケア」(双方向の教育 )から考えられた、プロセスを重視する参加型演劇を表現するためのオリジナル用語。当時、学芸会、芸術鑑賞会、部活が中心で、脚本、演出、配役も教師が一手に担うことが多かった従来の演劇教育、また、演出家が俳優をコマと考えることが普通であった従来の演劇に対し、時代に対応する「参加者中心」「それぞれの力を引き出す」といった、生徒や市民が中心となり、プロセスを重視する新たな(もしくは、忘れられていた)視点を提起するために造語されたもの。
 *  「子どもと大人の双方の主体的な関係を前提としており、対象の脆さや危うさに対応する『応答的(responsible)』な営みを意味している」(佐藤,学、1997)より。当時は、
個別指導塾教室長経験を経ていたこともあり、エデュケーションの語源として採用し「一人ひとりの無限の可能性ケアしつつ引き出す」という意味を独自で乗せていた。

※追記:佐藤学氏によると、educare(エデュカレ)には、人のみならず「生きとし生けるものから引き出す」という意味がある。(2018年1月21日、イタリア文化会館で開催されたシンポジウムでの対話より)

² 演劇のちから:(武力や暴力を彷彿とする漢字や、固いイメージのカタカナではなく、ひらがなを採用し、それをカタカナ的に見せるロゴにした)

今ではふつうに使われているが、当時、「~の力」というコピーは皆無の時代であった。電通の本を購入し毎晩3個以上のコピーをつくることを課し、独学のすえ作成。日本古来からの言霊(言葉の力)と社会への影響や責任までを考え、あらゆる角度から吟味した上で使った。ここには、長年の自分の問いそのもののみならず、当時、周囲にまん延していた自己表現や紙芝居にとどまり、その古代からの力を無視して形骸化していた演劇界へのエンパワメント、問題提起を演劇として行っていること(多元的、複眼的、演劇の力の活用)、90年代カリスマばかりにスポットが当たっていた中で「演劇そのもの」「演劇により参加者から力が引き出されつくり出される場」自体の効用再考の促進、少子高齢化がいわれIT革命の歪が問題化する中、イデオロギーや何かを否定することでの正当化にせず、人が心身全体をつかうことで解放し学び合いつながることができるアナログのコミュニティを楽しく築き、未来を創造していく演劇の力や人間力の復興への提案など、様々な意味合いが含まれていた。

同時に、「~の力」という普遍的な言葉を採用することにより、演劇の部分を何にでも変換でき、先が見えない時代に新たなパラダイムを拓きエンパワメントできるのではないかとも考え、あえてコピーライトを取らなかった。当時、意識的に入れていた意味には、物のみならず人間すら使い捨てでニートが増加していた社会に対し、それぞれ、角度を変えて見直してみると、そこにしかない眠れる力があるはずだ、それを引き出し活かしあうことで、新たな時代を生んでいくことができるのではないか、というアイデアも込められていた。周囲の人達には、コピーを出して2年後には、そこら辺に「~の力」というコピーがあふれるに違いない、と冗談を言ってはいたが、半年後には既にあふれ始め、15年以上経過した今でも、「トマトの力」「スポーツの力」など、当たり前に使われている。

³ 劇場をあそび場に:演劇は英語で「PLAY」ともいうように参加型においては「遊び」の要素が不可欠である。また、「こうせねばならない」という詰め込み教育やマニュアル社会には、(短絡的に否定したり無くしてしまうのではなく)車のブレーキの「あそび」のような一見無駄に見える部分を意図的に用意しトラブルを予防することが健全な社会を回していく上で必要なのではないか、とも2000年当時の勉強会などで実際によく話していた。また、当時は、外に遊び場がないということも社会問題として話題に上がっていた頃でもあった。
当時は商業演劇の興行を行う人気劇場で演劇ワークショップを実施したり、素人が演じる参加型を行うことは珍しかったが、劇場という「観る側観られる側」がいなければいけないという固定概念を越え、劇場を人々が出会え楽しく活用できる場、広場のようにつかうこともできるのではないかという提案も含まれていた。演劇ワークショップや参加型演劇を通して誰もが様々な遊びを自由に体験できるという文字通りの意味と、社会の「あそび」の部分を担うことができる場、また広場的な意味あいをもてる場が劇場ではないかという意味も込められていた。「劇場法」が施行されたのは、後の2012年である。

​⁴ 応用演劇合致の一端としての図(2001年時ウェブサイトに掲載):

 

 

シュタイナー教育教員研修:自分の体験や現象を観察する中で人間は頭と身体の二元論で分けることなどできないと考え、自分に生じる様々な感覚や夢にも関心をもちそのシンクロニシティを書き留めており、まだこういう現象が注目されてもいなかった90年代、本屋で手に取ったシュタイナーの翻訳本の前書きに人間を四元以上に感覚を十二に分けると書いてあったことから、シュタイナー教育に何かヒントがあるのではないかと個人的に関心を持ち、関連講演に足を運んだり通信教育などで独学した。2002年、チラシを偶然目にし、第二次世界大戦直後に創設された歴史あるニュルンベルグのシュタイナーハウス主催で、現・東京賢治シュタイナー学校で教鞭をとり、当時現地でオイリュトミストをしていた鳥山雅代氏がオーガナイズ、通訳を務めた3カ月間フルタイムのシュタイナー教育教員研修に参加。「賢治の学校」創設者であり雅代氏の母でもあった故・鳥山敏子氏と現地で共に学ぶ機会も得た。ただし、哲学の授業時、理由を言わずにオカルト的な瞑想をするよう指示されたり、卒業生の進路に疑問を抱いたりしてからは、シュタイナー教育そのものとは一線を画している。

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